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しぞーかの伝統工芸品



 静岡市は、応仁の乱で京を追われた職人さんを多く招き、東海の小京都と呼ばれる数々の文化、手工業で賑わいました。その後、徳川家康による駿府城と城下町整備、徳川家光家康によって、浅間神社造営、東照宮建立に至り、多くの宮大工等秀た職人さん達を雇い入れ、駿府の街を形成してきました。今に残る、伝統工芸の数々、ちょっと覗いてみましょう。


ちょっと一息250-min

駿河竹千筋細工 (国指定伝統的工芸品) 

駿河竹千筋細工350-min
(写真提供:静岡市産業振興課)

 古くから良質な竹を産出することで、竹細工が盛んであった。天保年間に岡崎藩士である菅沼一我によって、現在の竹千筋細工の基礎となる技術・技法がつたえられ、花器、虫籠などが作られ、街道に行きかう旅人にお土産として売られていたそうです。

 江戸時代初期に、急に落ち込んだ駿府経済の中、主に、武家の内職として始まったのが興りと言われています。
 駿河竹千筋細工は、一般的な竹平ひごを編む技法と異なり、細い丸ひごを組んでつくる技法が特徴的で、さらに曲げることで繊細優美な製品に仕上げていきます。


駿河雛具・雛人形 (国指定伝統的工芸品)

駿河雛具350-min
(写真提供:静岡市産業振興課)
駿河雛人形350-min
(写真提供:静岡市産業振興課)

 この地方では江戸時代から、志太地方で伝統的な雛人形「天神様」が作らていました。それが現代的な雛具・雛人形として全国的な産地となったのは、大正12年ごろ、関東大震災によって被災した東京の職人が静岡に移り住んでからと言われています。本格的な生産は昭和に入ってから、人形師を招き技術を導入して生産を開始しました。その後、昭和30年代後半からプラスティック製などが進出し量産化が進みましたが、最近では、静岡の伝統的な指物、漆器、蒔絵などの工芸が再評価され、伝統工芸品として有数の産地に返り咲いています。


駿河指物 (県指定郷土工芸品)

駿河指物350-min
(写真提供:静岡市産業振興課)

 江戸時代に駿府城、浅間神社造営に際し、全国各地から集めた宮大工などの名工が、象英語住みつき木工技術を広めたことが契機となったと言われています。明治中期に、静岡漆器が多く作られることとなり、その木地の製造wを指物師が担っていた事がベースとなり、その木工技術が全国有数の家具産地へと発展していきました。駿河指物の特徴は、雅な京指物と、粋で淡白な江戸指物の良いところを受け継いでいると言われています。


駿河漆器 (県指定郷土工芸品)

駿河漆器350-min
(写真提供:静岡市産業振興課)

 江戸時代に浅間神社造営のため、全国各地から集めた漆工たちが住みつき、技術を地元衆に伝え広まったことがもとになっています。明治時代になり、輸出用に漆器類が盛んになり、有名となります。戦後、ラッカーなどが主流となり廃れてきたものの、最近ではガラス食器にも漆塗加工するなど、近代化により脚光を浴びてきています。


駿河蒔絵 (県指定郷土工芸品)

駿河蒔絵①350-min
(写真提供:静岡市産業振興課)
駿河蒔絵②350-min
(写真提供:静岡市産業振興課)

 江戸時代末期、1828年に駿府に住む漆塗師中川専蔵が撒絵技術を習得し、漆器に取り入れたのがきっかけであると言われています。蒔絵とは、塗って乾いていない漆面に金・銀・錫粉を蒔いたり、卵殻や貝殻を貼ってそれを磨きだすなどで美しく仕上げます。雛具のお道具などの金色の装飾はこの蒔絵技術が使われています。


駿河塗下駄・張下駄 (県指定郷土工芸品)

駿河塗下駄350-min
(写真提供:静岡市産業振興課)
駿河張下駄350-min
(写真提供:静岡市産業振興課)
 駿河塗下駄
 明治初期、下駄職人だった本間久治郎が、もともと作っていた高下駄等に、漆を塗ってみた事が発端だったと言われています。静岡にもともとあった、静岡漆器、蒔絵等が、輸出品として盛況だったが、その後、安価なものなどに押され衰退してきて、その職人たちがこの塗下駄を作り始めたことも、盛んになる要因だそうです。白木の下駄を、彫って、漆を塗って、磨いてを繰り返し、独特の図柄を磨きだします。実用というより、装飾品としても脚光を浴びてきています。

 駿河張下駄
 もともと、木工品が盛んで、下駄屋が多かった静岡で、桐の柾経木(まさきょうぎ)を張った、張下駄がおしゃれという事で人気が出ました。経木とは、木材をごく薄い板というより、紙の様にしたもので、昔は、おさかな屋さんでお刺身を買うと、経木に包んでくれたり、遠足のお弁当のおにぎりは、経木に包まれていたりしました。静岡の伝統技術に「突板(つきいた)」があり、これは、その経木より少し厚い板を家具などに貼りつけて、綺麗な木目をデザインとする技法です。張下駄もまさにこの技法の延長線で、その後、紙布(しふ)、布、和紙、突板、畳、竹皮などを貼りつけるようになって発展しました。単にデザインの面白さだけでなく、貼りつけた素材が、紙や布であったりして、履き心地がソフトで非常に快適と評判です。この張下駄は、静岡の身でしか生産しておらず、珍しいものだそうです。

 編集者の亡き母は、幼少の折り(戦前)、この下駄の鼻緒結びや、下地造り、彫刻等を用いて、指物を加工する「鎌倉彫」などを内職していたと言っていました。戦後、多くの下駄屋は、サンダル工場に変わっていったようで、近所には、サンダル工場のゴムをプレスする音が響いていました。

駿河和染 (県指定郷土工芸品)

駿河和染350-min
(写真提供:静岡市産業振興課)

 静岡市は、古くから、渡来人と思われる技術屋集団による機織(はたおり)等が盛んで、いまでも地名として、服織(はとり)、賎機(しずはた)、麻機(あさはた)などが残っています。今川時代に木綿が作られるようになり、また、織物と並んで、染物も盛んとなり、染物屋(紺屋)の職人集団「紺屋町」が形成されていました。木綿に加え、安倍川流域で、葦が盛んに栽培され、葦による藍染が盛んにおこなわれるようになりました。安西から、紺屋町、伝馬町、横田町にかけて、多くの紺屋があったとされています。その後、明治になると、機械による染物や他の安いものなどにおされ、衰退していきました。そこに、安西に生まれ人間国宝になった、芹沢銈介らによる民芸運動などで染色技術と芸術性が向上し、伝統の駿河和染が復興となっていきました。伝統の型紙や筒描き等の技法により、藍色と白のコントラストの高い作品が多いのが特徴です。作品も、呉服物から、ストールや、小物入れから、インテリアの一部などに使われるようになってきています。
 静岡市の駅南、登呂遺跡の横に、芹沢銈介美術館があり、多くの作品が展示されています。「いろはにほへと」を用いて、全体を藍染したタペストリなどが有名なもので、また、静岡市民文化会館中ホールの緞長(だんちょう)にも使われています。

 編集者の家にも、額に入った「いろはにほへと」の染物(複製)と、座布団カバー(複製)がありますが、座布団は、長年の使用に耐えかねてお店できる状態ではありません.....。


静岡挽物 (県指定郷土工芸品)

静岡挽物(線香入)350-min
(写真提供:静岡市産業振興課)
静岡挽物350-min
(写真提供:静岡市産業振興課)

 江戸時代末期、銘木商の酒井米吉が、箱根の山で足を怪我をし、箱根湯本の挽物職人のもと技術を習得し、静岡の上石町で、始めたのがきっかけだそうです。挽物とは、木材をろくろのように回転させ、ノミなどで削り出す(挽く)ことで、綺麗な円形の容器などを指します。機械でいうところの旋盤というところですね。有名なものとしては、木製のコマや、こけし人形。テーブルの上の胡椒挽きなどが、代表的な製品です。現在は、機械による大量生産が主流となっていますが、綺麗な木目を活かした製品は、暖かく、なごませてくれます。線香入れ、お茶碗、茶器などがあります。

賎機焼 (県指定郷土工芸品)

賎機焼350-min
(写真提供:静岡市産業振興課)

 もともとは、江戸初期、徳川家康の御用窯として栄えたらしいが、安倍川の氾濫により窯場が流出。その後、復興がうまくいかず、細々と技術を伝承しているらしいです。特徴は、赤土で鮮やかな色彩を作りだし、南蛮手という技法を用い、表面はごつごつした物が多い。

井川めんぱ (県指定郷土工芸品)

井川メンパ350-min
(写真提供:静岡市産業振興課)

 井川めんぱの特徴は、ご飯を入れてもすえない、吸湿保湿性と、汁物を入れてもこぼれない漆塗りの基目の細かさ、何度でも漆を塗りかえることで修理ができる耐久性です。木の曲物(めんぱ)は、他の地区でもありますが、板と板を結びつける、山桜の皮でしっかり縫い合わせ、しかも、その次目にはたっぷりと漆が塗られている。器の側面と底面殿つなぎ合わせも、何度も漆を塗り重ねて、防水性を高めています。井川衆が山に入る時、この容器にご飯とおかずを入れていき、山で、焼き意思を作って、ご飯の蓋に水を注いで、焼き石を入れて汁ものを作るという荒技に耐えられるものであります。井川地区は、古く鎌倉時代から交通の要所であり、また、今川時代に金山が発見され、江戸時代には、森林開発など、活発な経済活動が行われ、その職を支えてきたのが、この井川めんぱであります。井川地区でただ一人の製作者も他界され、今は、静岡の町で技術伝承者がただ一人で作っています。深い漆の味わい、一度これで弁当を食べると、もう、他の弁当箱には戻れないといった、固定ファンが増え、今では、注文しても半年待ちという状況だそうです。



駿河凧 

 伝統工芸ではないけど、駿河凧は、江戸時代から続く、玩具であります。もともとの起源は、谷伝いの伝令用の通信機器であったり、忍者がこの凧で空中から偵察したという言い伝えもある、軍事用の色合いが強いですが、江戸中期からは、子ども用の玩具となっています。駿河凧の特徴は、長方形の裾部分に、左右にえらが出て、烏賊をひっくり返したような形をしていることと、描かれている絵が、源義経等の有名な武将であることです。静岡の本通の「凧八」というところで、手作りされていましたが、代が変わり、制作場所も変わっているようですが、手作りは変わらず、作られています。

※このページの写真の一部は、静岡市役所 経済局 商工部 産業振興課の著作物であり、承諾を得て掲載しております。無断転載等はご遠慮願います。