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トップページ > ちょっと一息 > 歴史・伝統*家康の駿府城(大御所再建後) 番外編
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歴史・伝統(番外編)





 古くは、鎌倉時代に守護がおかれて、室町時代は南朝方、北朝方の戦の歴史の末、徳川時代へと移ってきました。
その過程で、お城(その類する施設)も多く造られ、いくつか今も見ることができます。
 週末は、お城巡りでもいかがですか?


家康の駿府城(大御所再建後)

 
 さて、絢爛豪華をほこる、江戸城をも上回る天守閣も、できてまもなく火災で焼け落ちることとなります。なぜ火災になったかはいろいろな説がありますが、どうやら内輪での失火と見られています。
 徳川家康はすぐに再建を命じ、わずか1年半で新たな天守閣が作られました。突貫工事と言うこともあり、きらびやかな装飾も少なく、漆黒のお城だったと、絵には残っています。このお城も、徳川家康没後、程なく消失し、その後は再建されませんでした。もう、「天守閣」の役割を終えたと言う事ですね。

 記録には、3代将軍徳川家光が来た際、開場されたらしいが、徳川家光自身は「恐れ多い」として、中に入らなかったらしい。結局それ以降、城代も含め本丸内に人が入った記録は無いようだ。江戸中期に本丸御殿が火災になったようだが、消火もせず、放置されたとか。なにか動いて、焼け落ちた責任を取らされるのが怖かったとも言われていますね。

 その後、城主を置かず、江戸から城代を派遣して幕府直轄としました。何度かの地震を経て、石垣は崩落、明治維新による開城した際は、狸、狐のほか、なんと熊まで住んでいたと言われています。
 そして、陸軍に払い下げられ、天守台等も取り壊され、堀は埋められ、練兵場となり、終戦を迎えることとなります。

 その後、コンサートホール駿府会館が建てられたのですが、新しく市民文化会館ができたことで解体された際、発掘調査をしたときに、今川館と思われる遺構や、家康の天守台であろう石垣が発見され、駿府城公園として、将来天守閣を再建することを念頭にした開発をしていこうという流れになっていました。
 さて、今回、大御所時代の天守台の下に、秀吉の天守台があった新事実は、歴史を大きく塗り替えています。更に今後はその下にあるであろう、五領主時代の家康の天守台、さらには、今川館の全貌が明らかにされていくことであろう。

 5層7階で、3方向を楼閣で囲い、小天守閣を従えた、堂々とした駿府城。江戸城もしのぐ大きさとも言われています。天守閣再建を望む声も多いが、今しばらく、今川時代からの、城の変貌を想像するのもまた、楽しい物でありますね。

 静岡の街ににぎわいを取り戻す復興策のヒントは、この駿府城にあるのでしょう。
 これからの進展に興味が湧きますね。


外部リンク
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駿府城跡天守台発掘調査現場内で発掘調査速報などを発信している「発掘情報館 きゃっしる」の別館(電子版)として、関連情報をいち早く知りたい方や、現場へ実際に来られない方に向けて、最新情報をこのページよりお届けします。

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※ このページは、各諸文献や言い伝え等を元に新たに書き下ろしております。元文献等も全てを網羅していませんので、記述、解釈に違いがあるかとは思います。一つの「説」「解釈」としてお楽しみください。