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トップページ > ちょっと一息 > 歴史・伝統*家康の駿府城(大御所) 番外編
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歴史・伝統(番外編)





 古くは、鎌倉時代に守護がおかれて、室町時代は南朝方、北朝方の戦の歴史の末、徳川時代へと移ってきました。
その過程で、お城(その類する施設)も多く造られ、いくつか今も見ることができます。
 週末は、お城巡りでもいかがですか?


家康の駿府城(大御所)

家康と秀吉の石垣の違い-min
奥が秀吉の天守台
手前が家康の天守台小天守閣の石垣

 さて、徳川家康は、家督を徳川秀忠に譲り、自らは大御所を名乗り、駿府に隠居します。
 このとき、東の要、江戸城よりも天守台そのものは、大きな物であったことが、最近の調査で分かってきました。
それは、西の豊臣家をはじめとする外様に対する権威の象徴であり、且つ、江戸城への守りの最前衛という事でもあります。そのため、城下町を含め徹底的に大改修を行いました。もともとの東海道(本通)の位置を変更し(新通り)、安倍川を渡ってきた者が東海道の先に駿府城天守閣を見て、その右側に富士山を見えるようにしました。その駿府城は富士山よりも高く見えるように高い建物であったと言われています。大御所家康は、富士山をも膝間尽かせるという大胆な心理作戦でありました。
 五領主時代の二重の堀も三重に改められました。宮ヶ崎から外堀に安倍川の流れを注ぐことは同じですが、外堀北東部に「水落」を設け、排水しています。さらに、その流れとは別の用水を、水道町から、中町経由、今の市役所前を抜けて、伝馬町通りから、八幡を抜けて久能街道を流す、御用水が整備されました。さらに、中堀、内堀ともに、自噴泉を用いて導水し、その水流は、東御門の少し北側から外堀に流した遺構が見つかっています。外堀よりも、中堀、内堀の方が水面が高かったことを意味します。

 賎機山西麓より安倍村に至る河川敷に、薩摩土手を設け、これにより、暴れ川「安倍川」を治め、広大な静岡平野を作りました。ここに駿府96ヶ町と呼ばれる、職人の町を形成し、また出現した広大な農地には、米作の他、麻、葦なども栽培され、葦より出でし藍染めが盛んなったと言われています。
豊かな町作りと、絢爛豪華なお城。
 何も無かった江戸の原を、大都市に作り上げた、徳川家康だからこそできたことだと思います。文献に寄れば、この大御所時代、江戸よりも、駿府の方が人口が多かったとされています。
 その絢爛豪華さは周囲の影響も多く、まばゆいばかりの天守閣で、駿河湾のお魚が逃げていってつぃまったとまで言われていました。

大御所駿府城下町全景想像図600-min
大御所駿府城と駿府城下町(想像図)

 どんな天守閣だったのでしょうか?

 天守台そのものの大きさは、江戸城よりも広い様です。ただ、この大きさで天守閣を作る技術はまだ無かったようで、楼閣を従えた5層7階の大天守閣に、小天守閣を従えた、姫路城と名古屋城を足しで2で割ったような構造では無いかと言われています。城壁は、周りの楼閣からみて、全面白漆喰、瓦は銀瓦であったと言われています。

 今わかってきたことは、豊臣秀吉の天守台はほぼそのままに、その上に新たに天守台を作って埋めてしまった様である。この手法、大阪城も似ていますね。大阪城も、豊臣秀吉の大阪城の上に、新たに城郭を築いています。現在、地下の遺構が見学できるように整備されています。

 残念のことに、明治維新により廃城となり、陸軍に払い下げられ、天守台等高台は削られ、堀を埋められ、練兵場と宿舎になってしまった。さらに、は太平洋戦争後、コンサートホール駿府会館を作ったことで、今の地面より上にあったであろう物は全て取り壊されている。幸い地下の構造はかなり残っているようである。
 駿府会館を取り壊す際、下方に、今川館の一部であろう遺構が見つかっている。

フェスタ1732-min
天守台 南西角
フェスタ1733-min
天守台 南西辺
フェスタ1734-min
天守台 北西角

家康の石垣2-min
手前が天守台北西角
奥が本丸に続く石垣
家康の石垣3-min
石垣の角に摘まれたであろう、
切り出された大石
家康の石垣1-min
天守台の石垣は緻密に組み合わされて
その角度もより垂直に近くそびえている。

 徳川家康の天守台の石垣も、修復の後が見られる。度重なる地震による崩落があったことは記録に残っている。
実際には、3代将軍家光がご来城した際、最後の開門があったと言われ、それ以降は城内に人が入ったことは無かったようです。
明治維新で開場すると、焼け落ちた本丸御殿や、崩れた石垣などが残っていて、熊が住んでいたという記述も残されている。

外部リンク
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駿府城跡天守台発掘調査現場内で発掘調査速報などを発信している「発掘情報館 きゃっしる」の別館(電子版)として、関連情報をいち早く知りたい方や、現場へ実際に来られない方に向けて、最新情報をこのページよりお届けします。

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※ このページは、各諸文献や言い伝え等を元に新たに書き下ろしております。元文献等も全てを網羅していませんので、記述、解釈に違いがあるかとは思います。一つの「説」「解釈」としてお楽しみください。