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歴史・伝統(番外編)





 古くは、鎌倉時代に守護がおかれて、室町時代は南朝方、北朝方の戦の歴史の末、徳川時代へと移ってきました。
その過程で、お城(その類する施設)も多く造られ、いくつか今も見ることができます。
 週末は、お城巡りでもいかがですか?


今川館(いまがわやかた)

 今川館に関しては、いくつかの記録が残っています。大きな川の畔に、池を作った庭園を有した館であったと言われています。さて、どこにあったのか?
 今川範国が、足利尊氏とともに立ち上がり、手越原の合戦で大勝利を収めるこことで、駿河の国の国主を命じられました。当時、駿河国の中心地は、現藤枝市と言われています。その昔、奈良時代には、藤枝市駿河台付近にあった「志太郡衙」と呼ばれる、納税のための役所があったとされています。いわゆる静岡市は、安倍川の氾濫が激しく、賎機山周辺の安倍の市や、有度山周辺の池田地区以外は、葦の原っぱだったとも言われています。足利尊氏に先立つこと、後醍醐天皇による建武の新政がスタートし、京の宮廷警護に当たっていた伊豆の氏族、狩野貞長が、駿河守とともに安倍川沿いの内牧郷に館を設け、支配していたので、駿河国に入れず、所領した葉梨地区に居城したと言われている。その後、今川範国は、南朝方の狩野貞長の安倍城を度々攻め、今川範政によって狩野一族を滅ぼしたことで、駿府に居城を移したとされている。

 大きな川は、安倍川の流れの一つで、家康が「薩摩土手」を作る前は、暴れ川とよばれ、賎機山より海に至る砂礫による天井川であったことが想像されている。普段は天井川と呼ばれる標高の高い砂礫層から水の流れは低い方に流れ、賎機山沿いに北に流れ(北川)麻機沼に投げれ込む支流のほか、浅間神社の宮ヶ崎より、今の水落より北街道に沿うように沓谷に抜けていく流れなどがあったとされています。
 この北川と、水落の間に、安倍の市から伝わる駿河の町並み(宮ヶ崎)があったとされ、国分寺跡と言われる寺社跡も、長谷通り当たりにあったとされています。となると、そこより川沿い。つまり今の駿府城の北東にあったと考えるのが自然だと思います。
 賎機山の麓にある浅間神社は、今川家の守り神であり、「臨済寺」は、菩提寺です。

 今川範政が、居城を駿府に移したのが、1411年頃と言われています。まず、賎機山山頂に、「賎機山城」を築き、その大手門として臨齋寺が置かれています。この賎機山城は、安倍川を挟んで相対する山頂に、かつて南朝方の狩野氏の狩野城があり、今だ南朝方の残党が安倍奥にあり、その前衛基地として存在しています。そして、その南方に、浅間神社を祀り、宮ヶ崎を抱えています。
 そして、安倍街道は、甲斐、信濃に抜ける当時の「潮の道」でもあり、また、北街道長谷通りと交通の要所でもあるこの地に、京都大覚寺を思わすような、壮大なお屋敷が建てられていたと想像します。
 北街道、長谷通りは、旧東海道沿いに、小鹿氏などがいたり、長沼、入江城を避けて、今川方の「浅間神社」と、興津の「清見寺」を結ぶ重要なルートであったと想像します。

今川館全景想像図600-min
今川時代の駿河(今川館)の想像図

 事実、駿府城公園北東にあった、駿府会館を取り壊した際、その地下より、今川館の遺構であろういくつかが発掘されています。この周辺には、金箔を押した食器なども出てきて、今川館の荘厳さが想像できます。
 さらに、駿府城申未櫓整備の際、池を有した庭園の遺構が見つかっていることから、駿府城申未櫓付近から大きな池を有した庭園があり、その畔、まさに今発掘している天守台の当たりに今川館があったであろうと想像できます。
 今川館の規模は、勝手に想像するに、京都の大覚寺と同規模ではないかと思います。それは、当時、今川家は、将軍の次の立場にあったとされ、また、京都より多くの公家や文化人、技術者を迎えいれていたことから、寝殿は檜皮葺の大屋根であったのではないか....と、勝手に想像しています。

 ただ、武田に攻められ、その後駿河を逃げる際、街全体を放火していったことで、家康が入場した際は、焼け跡でしか無かったと思われます。



外部リンク
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駿府城跡天守台発掘調査現場内で発掘調査速報などを発信している「発掘情報館 きゃっしる」の別館(電子版)として、関連情報をいち早く知りたい方や、現場へ実際に来られない方に向けて、最新情報をこのページよりお届けします。

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※ このページは、各諸文献や言い伝え等を元に新たに書き下ろしております。元文献等も全てを網羅していませんので、記述、解釈に違いがあるかとは思います。一つの「説」「解釈」としてお楽しみください。