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トップページ > ちょっと一息 > 歴史・伝統*家康の駿府城(初代) 番外編
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歴史・伝統(番外編)





 古くは、鎌倉時代に守護がおかれて、室町時代は南朝方、北朝方の戦の歴史の末、徳川時代へと移ってきました。
その過程で、お城(その類する施設)も多く造られ、いくつか今も見ることができます。
 週末は、お城巡りでもいかがですか?


家康の駿府城(初代)

 今川義元が、織田信長に討たれ、しばらくは今川家も存続したが、やがて、武田信玄の侵攻もあり滅亡します。しばらく武田信玄の所領となるが、武田信玄没後、武田勝頼が長篠の戦に破れると、徳川家康が駿府に入り、武田軍は駿府の街をことごとく火をかけて撤退したと言われます。
 そして、その後に、徳川家康が駿府に移り住んできます。武田家は滅亡し、五領主時代駿河遠江三河甲斐信濃)となり、これより東は北条家であり、豊臣秀吉連合軍の最前線でもありました。おそらく、その当時は、戦場としての城であったと推定します。
 浜松城もそうであるが、徳川家康は、天守閣を作らなかったと言われています。物見櫓と言う意味での天守台を作っていたと言われています。まだ戦も多い頃で、そこに軍資金を回すゆとりも無かったであろうし、華美な建築物は逆に邪魔になると考えたのであろう。髙天神城二俣城野田城小笠城、いずれも実線方の山城であります。浜松城も曳馬野と呼ばれる高台にある中で、完全な平城であるが、旧安倍川の流れを上手く利用した天然の要塞としての今川館を効果的に利用したのでは無いかと推察します。

 徳川家康は、幼少の折、人質として今川館に幽閉されていました。でも、寿桂尼今川義元の恩恵に賜り、臨済寺にて学問や兵学を学んだとされています。今川義元は我が子、今川氏真の右肩として今川家を支えてもらいたかったとも言われている。徳川家康の初陣の際、白檀に金博を貼り付けた非常に高価で技術的にも高度な甲冑「金陀美塗具足」を与え、祝ったとされているが、この戦で、皮肉にも今川義元は桶狭間で敗れ、徳川家康はこの具足のまま大高城に逃げ込んだと言われています。

 駿府は今川義元亡き後、甲斐の武田に攻められ占領されます。しかし、これも天正3年(1575年)に長篠の闘いで、武田勝頼が打たれたことで急速に衰え、浜松の徳川家康髙天神城の戦いに破れ、一気に体勢が不利となると、駿府の町に火を放って甲斐に逃げたとされています。

 徳川家康は、幼少の頃の良き思い出と、今川家に対する想いを重ね、ここに新たに城下町を作ることを決意します。徳川家康が天正13年(1585年)駿府に入るときは、焼け野原になった駿府の町は、徐々に復興して、そしてその後の徳川家康の施策により豊かな城下町になっていたことでしょう。
 駿府城築城は、天正15年(1587年)1月26日から始まり、天正17年5月25日に完成したと言われています。実に、2年4ヶ月であります。このとき作られた天守閣は、小天守を抱えた大天守閣であり、徳川家康築城では初めての「天守閣」であったと思います。

 安倍川の流れを巧みに取り入れた外堀を作り、その中に戦いを意識した戦国の城を作ったと想像できます。
 この地は、そもそも、天井川の安倍川の高い川床から、一気に沼地へと流れ込む高低差があり、いまでも「ごーごー」と音を立てて水が流れています。この水流を利用して、北西角から取水して、南東角に水を落とす(水落)、全国でもおそらく例が無いと思われる、水流のある外堀を作りました。
 興味があることでは、この内堀は、この外堀よりも水位が高いことです。
 二の丸、本丸に井戸があり、豊富な安倍川の伏流水が自噴していたと言われています。この豊富な自噴泉がいざ闘いとなるときに非常に有利になる「水の確保」でありました。万が一、敵に囲まれて、外堀を壊されたとしても、水が確保されていると言う事です。

 天正18年7月5日、小田原の北条氏を討伐した直後、豊臣秀吉に、五領地を没収され、江戸(関東)に移封せられます。駿府城にはわずか1年1ヶ月しかいられなかったことになります。非常に酷な領地替えでもありますが、何も無い江戸にもっと大きな構想の町作りができたことが、逆に徳川家康に多くの技術や金脈、人脈を集めることとなり、結果的に天下を取る原動力になったと思います。
 そのベースとなったのが、この何も無く荒れ果てた駿府の町に、城下町を作り発展させた経験であったであろうと、思います。



外部リンク
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駿府城跡天守台発掘調査現場内で発掘調査速報などを発信している「発掘情報館 きゃっしる」の別館(電子版)として、関連情報をいち早く知りたい方や、現場へ実際に来られない方に向けて、最新情報をこのページよりお届けします。

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※ このページは、各諸文献や言い伝え等を元に新たに書き下ろしております。元文献等も全てを網羅していませんので、記述、解釈に違いがあるかとは思います。一つの「説」「解釈」としてお楽しみください。