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トップページ > ちょっと一息 > 第14回 岡崎・知立・有松・鳴海・宮(熱田)宿のおみやげ、あれこれ

旧東海道のおみやげ、あれこれ

 旧東海道を歩いてみると、今に残る伝統的なお土産や、お菓子などがたくさんあることがわかります。東海道中膝栗毛で、やじさん、きたさんの楽しみは、このお土産やお菓子を巡ることでもありましたね。
 静岡県民は、全国の道の駅、高速道路の売店等での、お土産の購買金額が、全国一という調査結果があります。その信憑性はともかく、確かに、いろいろなところで、両手いっぱいお土産を買って帰ることが多いですね。そんなものを少し紹介してみましょう。
 


第14回 岡崎・池鯉鮒(知立)・有松・鳴海・宮(熱田)
調査中

岡崎宿


本陣3、脇本陣3、家数 1,565、旅籠112、宿場 人口6,494人
広重岡崎宿-min
 旧東海道38番宿です。徳川家康公の祖父「松平清康」が築城し、その後、東海道を城下町に通し、岡崎の二十七曲を形成させた。このことで、旅人は岡崎城下を往来し、賑わいを創設したことが繁栄につなり、その規模は、駿河府中に次ぐものでありました。また、絵に描かれている矢作川に架かる橋、矢作大橋は、江戸時代最大の橋だったそうです。八丁味噌が有名で、NHKの朝ドラ「純情きらり」の舞台にもなりました。


 八丁味噌
 NHKの朝の連続テレビ小説「純情きらり」(主演:宮崎あおい)で有名になった、岡崎の「赤味噌」。岡崎城より西へ八丁離れたところで作られたことから、「八丁味噌」と呼ばれたようで、江戸時代初期から今でも「カクキュー」と「まるや」の2軒が製造しています。もとよりこの地は温室な気候で、腐りやすい土地柄で、この地でも腐らないように、水分を減らし熟成期間を長くした事が、兵糧など長期保存によいとされ重宝されたようです。通常の味噌が1年熟成なのたいし、八丁味噌は2年以上熟成させます。そのため大豆のうまみを凝縮した濃厚なコクと、少々の酸味、渋み、苦みが独特の風味を作り上げています。

 カクキュウ(合資会社八丁味噌)
 駅売店、高速道路売店等で広く扱われていて入手しやすいです。また、工場見学も出来、テレビドラマ撮影の秘話も知ることが出来ます。

・赤だし味噌
 すでに、だしが入っているため、お椀に入れてそのままお湯を注げば、簡単「赤だし」味噌汁が出来ます。
カクキュウ赤だし外箱-min
カクキュウ赤だし内容器-min


・味噌カツのたれ
 愛知県と言えば、「味噌カツ」となれば、二度仕込みの八丁味噌の出番です。
スーパーで、とんかつ買ってきて、これをかければ、簡単「味噌カツ」が出来ますね!
カクキュウ味噌カツ-min
カクキュウ味噌カツ内容-min
味噌カツカクキュウ
料理のこつは、「とんかつ」を温め直すとき、オーブンを予熱してから200℃で3分で焼き上げること。電子レンジだと、衣がしなってしまいます。味噌カツのタレをかけても、周りの衣が「サクッ」とする食感が楽しめます。


池鯉鮒宿 (知立)

本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒、戸数292戸、人口1,620人
広重池鯉鮒宿-min
 旧東海道39番宿です。名前の由来は、池鯉鮒大明神の御手洗池に鯉や鮒がたくさん泳いでいたということらしい。宿場の西外れに、古知立城址があります。元は今川方の城であったが、桶狭間合戦以降は織田方になった。このあたりが、三河と尾張の勢力の境であったようです。絵に描かれているのは、「首夏馬市」である。また、綿花の産地で市も開かれ松尾芭蕉の句にも「不断たつ 池鯉鮒の宿の 木綿市」と詠まれました。逆に言えば、農業用水が乏しかったといえ、明治に「明治用水」が引かれることで発展してました。


 あんまき
 岡崎、池鯉鮒周辺は、水が少なく水田には適さない。そのため、麦、小豆、綿などが栽培されていました。その麦を粉にして延ばして焼いた物で小豆の塩餡を来るんだ物が「あんまき」の元祖です。池鯉鮒大明神の参拝客や東海道の旅人に好評でありました。明治になり、知立宿場内の茶店、小松屋本家にて現代版の「あんまき」が販売され大好評となり、その後、国道1号線(現代の東海道)で藤田屋が、ドライブイン(現代の茶店)で販売をはじめ、今では、名古屋、東京でも、駅、ドライブインなどで「愛知のお土産」として好評を博しています。

あんまき小松屋-min
あんまき-min
 小松屋本家
明治22年(1889年)知立で現代版「あんまき」を販売した老舗です。粒あん(黒あん)と、こしあん(白あん)の2種類で、餡からすべて手作りです。
現代版のあんまきは、ホットケーキの生地を使っていて、ふっくら仕上がっていますが、餡を含めて甘すぎないのが人気の秘密!



藤田屋大あん巻-min
 藤田屋
 CBCラジオでかつて、鳳啓助・京唄子の「唄啓のこれは得だす、お聞きやす」という番組のCMで、「知立・岡崎国道1号線で、安くとボリューム満点。食事をするなら、藤田屋。大あんまきと食事が旨い!」で有名になりましたね。餡と、クリーム、チーズと3味が楽しめます。



有松 (間の宿)


有松井桁屋-min
 尾張藩の命により、間の宿が建てられました。地元の綿花と葦が染め物を発展させ、有松絞という技法で有名となりました。東海道中膝栗毛でも弥次さんが有松絞の手ぬぐいを買っていますね。いまでも、絞りのお店を中心に古い町並みが保存されていて、タイムスリップしたようです。名古屋城本丸御殿の屏風絵は、この有松絞と名古屋友禅とで作られています。桶狭間の合戦で、今川義元公最期の地として有名です。


 鳴海有松絞

 このあたりは、大きな河川もなく、農業用水が足りないため、稲作には適さず、麦、綿花などが多く栽培されました。また、今よりも海が近く、葦原が広がっていたそうです。この、葦からとれる「藍」と、綿花からとれる「綿織物」が、「藍染め」を作り出しました。ここ鳴海絞、有松絞は「絞り染」という技法が中心となり尾張の名産として広まりました。名古屋城本丸御殿にもその技法が認められ飾られているそうです。桶狭間という地でもあり、尾張藩の東の砦という位置もあり、藩より多大な保護を受け大きく発展しました。現在も、有松宿は、古い町並みを保存し、また、「有松絞」の伝統を守りつつ、新しい感覚を入れて受け継いでいます。

鳴海有松絞彩1-min

彩-Aya Irodori

有松絞りのそれらの伝統の技を受け継ぐとともに、現代の感性をも取り入れ新しい商品を提案していきたいと思います。

ヨーロッパで有松絞りのインテリアを展開していたsuzusanに弟子入りし、仕事を手掛けながら、技術を習得してきました。第24回有松絞りまつりで作品を発表し最優秀賞を受賞。その後も400年続いた有松鳴海絞りを現代に活かした作品で、数々の賞を受賞。現在、職人歴は10年目を迎え、若手初の伝統工芸士を目指しています。(ホームページより)

鳴海有松絞彩2-min
鳴海有松絞彩3-min
古い伝統と、新しい感覚
彩-Aya Irodori のホームページ ↓
彩HPバナー250bana--min
ただいま、染色工程...彩染色工程1-min
規則正しく折りたたんで、
染料をスポイトで垂らしていきます
彩染色工程-min
ぐつぐつ、煮込んで....

彩染色工程2-min
陰干し...
(写真提供:彩 Aya Irodori さん)
有松絞りストールボルドーパック-min
ボルドーのストール!
有松絞りストールボルドー-min
おしゃれな色ですね。
有松絞りストールエメパック-min
南の海のイメージ
有松絞りストールエメ-min
エメラルド・ブルー

 有松絞りは、400年以上の伝統技法を受け継いで、現代の感覚で広がりを見せています。ちょっとその技法を覗いてみましょう。

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鳴海宿

本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠68軒、戸数847戸、人口3,643人
広重鳴海宿-min
 旧東海道40番宿です。その昔、室町初期に根古屋城として発展し、その後鳴海城と変わって今川、織田と城主変遷がありました。また少し南にも、大高城があり、桶狭間の戦いの際、今川方だった家康が兵糧を納め、そもまま居座ったとされています。絵に描かれているのは、半土蔵造りのこの地方の商屋で、鳴海有松絞を取り扱っていました。また、この宿場は、お寺が多いことで有名です。鳴海寺詣り歌として子供たちに唄い継がれているようです。江戸時代も尾張藩の東の砦として重要視されていたようです。


宮宿 (熱田)

本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠248軒、戸数2,924戸、人口10,342人
広重宮宿-min
 旧東海道41番宿です。織田信長が戦勝祈願した、熱田神宮門前町で栄え、また、中山道、佐屋街道(陸路桑名方面へ行く姫街道)の分岐点でもあり、交通の要所でありました。多くはここより、七里の渡によって、桑名宿まで海路渡りました。十里の渡といって四日市宿までいくことも多かったようです。熱田神宮には、日本武尊が豪族を納めたとされる、三種の神器といわれる一つ「草薙神剣」が祀られていると言われています。豊富な漁場、年魚市潟(あゆちがた)とよび、「あいち」の語源となりました。また名古屋城下へ魚介類を商う町、豪商などの歓楽街、船を待つ高貴な旅人向けの高級料亭が建ち並んでいました。


 ういろう

 ういろうとは、米粉を使った蒸し羊羹の一種で、全国に似たようなお菓子が存在します。元々は、中国、宋の僧侶が室町時代に伝えたとされたが、当時は大変高価な献上品であったそうです。そのご、その末裔が小田原で、「お菓子のういろう」として販売するようになったとされています。
 ここ名古屋でなぜか、ういろうが爆破的に人気を博します。青柳総本家は明治12年創業で、昭和6年に国鉄名古屋駅ホームで販売をはじめたこと。さらに、昭和39年新幹線車内販売権を取得したことが、名古屋名物「ういろう」と知らしめたこととなったようです。白餡、黒あん、抹茶、小豆、コーヒー、ゆず、桜などいろんな味が楽しめたり、一口サイズであったり、いろいろ工夫しているようです。そもそも、ビニール密閉包装を開発し、日持ちがするように改良されたところが「お土産用」のお菓子故の処ですね。
青柳ういろう外箱-min

青柳ういろう内容器-min

青柳ういろう一口-min

 名古屋のういろうと言えば、外せないのが、「二つの赤い提灯」で有名な「大須ういろ」ですね。こちらは「ういろ」といい、最後の「う」がありません。また、小豆のこしあんを入れた物を「ないろ」と読んで独自商品を展開しています。こちらは昭和24年創業と新しいですが、ラジオやテレビCMで展開し、青柳ういろうと人気を二分しています。こちらもいろんな味に展開しています。「ボンボンボン、と、時計が三つ...♪」とか、「一番はじめは一宮~♪」などと、誰もが口ずさむフレーズが印象的ですね。
大須ういろ赤-min
大須ういろ茶-min
大須ないろ-min
大須ういろ桜-min
大須ういろ抹茶-min

大須ないろ姿-min



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