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トップページ > ちょっと一息 > 第6回 岩淵・蒲原・由比・興津のおみやげ、あれこれ

旧東海道のおみやげ、あれこれ

 旧東海道を歩いてみると、今に残る伝統的なお土産や、お菓子などがたくさんあることがわかります。東海道中膝栗毛で、やじさん、きたさんの楽しみは、このお土産やお菓子を巡ることでもありましたね。
 静岡県民は、全国の道の駅、高速道路の売店等での、お土産の購買金額が、全国一という調査結果があります。その信憑性はともかく、確かに、いろいろなところで、両手いっぱいお土産を買って帰ることが多いですね。そんなものを少し紹介してみましょう。
 


第6回 岩淵・蒲原・由比・興津
調査中

岩淵 (間の宿)



 岩淵は、大津波によってルート変更された際、吉原宿と興津宿の間が長くなったため、作られました。また、ここより川船により、甲州へと水路が延び、東海道と甲州水運の交通の要所として栄えました。間の宿で本陣があるのも珍しいところです。


蒲原宿

本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠42軒、戸数509戸、人口2,480人
広重蒲原宿-min
 旧東海道15番宿です。江戸中期の大津波により、ルートを山よりに移したことで、この絵に描かれる「蒲原峠」が出現しました。「雪の蒲原」と言われているが、ここは温暖な地で、雪が降ることは滅多にない。歌川広重は、そこに雪を降らせることで、話題性を狙ったと言われています。


由比宿

本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠32軒、戸数160戸、人口713人
広重由比宿-min
 旧東海道16番宿です。良好な漁場があり、海産物で栄えました。「桜えび」は、偶然巻き網を深く入れすぎたことで発見されたものです。海にそびえ立つ断崖絶壁の薩埵峠(さったとうげ)は、交通の難所で、種々のドラマが言い伝えれれています。山岡鉄舟が、幕府軍に追われここより漁師に化けて江尻湊に回路向かった逸話が残っています。由比~興津間の薩埵峠は、ハイキングコースとして整備され、週末は多くのハイカーで賑わいます。


 正雪紺屋

正雪紺屋-min

 東海道には、大きな宿には必ずというほど「紺屋」があり、呉服商とともに地域経済の中心でありました。ここ由比にも紺屋があり、由井正雪の生家と伝えられています。由井正雪は、江戸初期に生まれ、家業紺屋を継がず、楠木流の兵学を学ぶも、クーデター未遂で自刃しました。
現在は、お土産屋として営業しています。


 桜えび

生桜エビ1-min
 しらす漁の漁師が、あるとき間違えて、いつもより深い水深に網を入れたところ、桜色に輝く小エビがたくさん捕れました。満月の月夜に桜色に輝く小エビ、「桜えび」と名付け、特産となりました。駿河湾と、相模湾の一部に生息し、静岡県内では「由比港」「大井川港」のみに漁が許され、出漁期間、大きさや量など、細かく管理しています。似たような小エビやアミに着色した物が出回っていますが、味もコクも違う物です。定番のかき揚げ蕎麦から、素干し、あげ玉、など、いろいろ加工され、食卓を賑わせますが、やはり、生の刺身が一番!ここでしか食べられません!
桜エビかき揚げ-min
「海の庭」かき揚げ蕎麦定食
生桜エビ-min
桜えびの刺身(解凍)
冷凍すると白っぽくなり、堅くなります
桜エビかき揚げ2-min
桜えびの踊り揚げ
桜エビ掻揚そば-min
由比漁港のかき揚げ蕎麦
桜えびの密度が違います
駿河丼-min
由比漁港の駿河丼
釜揚げ桜えびと釜揚げしらす
桜エビ素揚げ-min
桜えびの素揚げ
おつまみにはこれっ!
桜エビあげ玉-min
桜えびいりあげ玉(天かす)
蕎麦でも焼きそば、何でも合います
由比産干し桜エビ-min
桜えび素干し
これが天然色



 由比缶詰所

ホワイトシップ炙りビントロ-min

 昭和4年、静岡市(清水)で、特産のマグロを缶詰にして売り出しました。国内はもとより海外からも好評でした。「シーチキン」は、ほごろも缶詰の商標ですが、ツナ缶の代名詞ともなっています。ここ由比缶詰所も昭和24年から製造をしている老舗です。当初は大手缶詰会社にOEM供給が主力でしたが、ホワイトシップ印というオリジナルブランドも作っています。近年、オリーブオイル漬けのツナ缶が好評で、全国から注目されています。なかでも、工場でしか買えないこの「炙りビントロ」缶は、そのためにわざわざ首都圏から買いに来る人もいるほどです。(工場直売なので土日祝はお休みです)




興津宿

本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠34軒、戸数316戸、人口1,668人
広重興津宿-min
 旧東海道17番宿です。交通の難所、薩埵峠は夜間の通行が危険なため、宿泊場所として栄えたようです。今の薩埵峠(旧東海道)は、それまでは波打ち際を通る「親不知、海ん道」が主流であったが、朝鮮通信史が「象」を江戸に届けると言うことで、急遽「山ん道」を整備したとも言われています。この町が有名になったのは、明治時代、元老西園寺公が座魚荘を建て住まわれたことで、政治家や、貴族、華族、など「興津詣」と呼ばれるようになったことと言われます。
 今となっては、清水港貨物(コンテナ)ターミナルや、東海道線、国道1号線バイパス等で、海が見えませんが、昔は、駿河湾に臨む静かな海岸線を有していました。興津から袖師にかけては、海水浴場として賑わい、興津駅と清水駅の間には、夏の海水浴シーズンの臨時袖師駅がありました。そんな、興津の海岸で明治時代の皇太子(後の大正天皇)が、清見寺にご宿泊され、海水浴を楽しまれたことがきっかけとなり、政治家、豪商などが競って別荘を建てました。大正時代に元老西園寺公望が「坐漁荘」建てたことで、「興津詣」でたいそう賑わったそうです。


 興津鯛

 甘鯛の干し物を、俗に「興津鯛」と呼ばれました。その昔、徳川家康が藤枝の田中城での鷹狩りの際、食されたのが、大好物の「甘鯛の干し物の天ぷら」と言われ、俗に油が腐っていたとか、甘鯛が腐っていたので、家康が亡くなったという言い伝えにもなりました。家康の死因は実際には十二指腸がんとか胃がんと言われており、また、食されたのも、真鯛の天ぷら出会ったとも言われています。昔は今のように流通が悪いので、生魚は用いず、塩干し↓物が飲食に用いられていました。

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