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トップページ > ちょっと一息 > 第18回 石部・草津・大津のおみやげ、あれこれ

旧東海道のおみやげ、あれこれ

 旧東海道を歩いてみると、今に残る伝統的なお土産や、お菓子などがたくさんあることがわかります。東海道中膝栗毛で、やじさん、きたさんの楽しみは、このお土産やお菓子を巡ることでもありましたね。
 静岡県民は、全国の道の駅、高速道路の売店等での、お土産の購買金額が、全国一という調査結果があります。その信憑性はともかく、確かに、いろいろなところで、両手いっぱいお土産を買って帰ることが多いですね。そんなものを少し紹介してみましょう。
 

第18回 石部・草津・大津
え!マジで歩く東海道 第18回 は、こちら


夏目 立場

ところてんに黒蜜を掛けて食す発祥に地とか。
このあたりは、奈良時代東大寺の大仏建立の為の燃料の木材を切り出して、山々が丸裸となったそうです。雨により土砂崩れが頻繁に起こり、川床が上がり天井川が多く発生したそうです。明治になり天井川にトンネルを掘り「まんぽ」と呼ばれ、交通の要となっています。


石部宿

本陣 2軒 脇本陣 0軒、旅籠 32軒、戸数 458軒
石部宿広重-min
 東海道第51番宿です。京都立ち石部泊まりといわれたように、鈴鹿峠を前に調整をしたようです。街道から離れた山間に、石部宿歴史資料館が整備され、旧家屋、関所などが再建され往時を偲ばしてくれます。


 

 





目川 立場






草津宿

本陣 2軒、 脇本陣 2軒、旅籠 72軒、人口 2,351人
草津宿広重-min
 旧東海道52番宿です。ここは、東海道いせみちと、中山道北国街道の分寄の追分で、大層賑わいました。町の真ん中を天井川の草津川が流れ、追分道標がその歴史を物語っています。また、東海道現存本陣の2軒のうち1軒「草津本陣」があり、歴史的にも見所が多いです。また、八橋(やばせ)路(東海道脇道)の分岐があり、琵琶湖水路で大津へ短時間で行き来ができ、賑わったそうです。


 姥が餅
 織田信長が、桶狭間の戦いで今川義元を討ち、勢力を拡大しここ近江の国の主語となった頃に遡ります。近江源氏の佐々木義
賢が信長に滅ぼされた際、3歳の曽孫を姥に預けたそうです。その姥が子を連れて餅を売り歩く姿にいつしか「姥が餅」と呼ばれるようになったそうです。その後、関ヶ原の戦いを経て徳川家康が幕府を開き大阪に赴く際、その姥が餅そ食べ、姥の生き方などに感銘し「養老亭」の名を授けたそうです。その後、松尾芭蕉が俳句で詠み、近松門左衛門が浄瑠璃とし、草津名物となったようです。現在の姥が餅は姥の乳房をイメージし白餡がトッピングされています。
姥が餅外箱-min

姥が餅中包装-min

姥が餅-min




 琵琶湖名物 鮒寿司
 日本古来の「鮓(なれずし)」の代表です。魚を米と塩で発酵させたもので、保存食として古くは奈良時代よりあったようです。琵琶湖は鮒の産地で、平安時代の文献に「近江国より鮒鮓の献納」と書かれているようであります。鮒のうろこやわたを取り除いて塩漬けとして、並べ重ねて重石を乗せて冷暗所で塩漬けさせます。次に飯を鮒の身の中に詰めタルの中で、熟成乳酸発酵させたものが、鮒鮓であります。卵は、チーズのような香りと食感で、好まれているようです。
 匂いが強く、最近ではあまり好まれないようでありますが、味はむしろうまみが深く、はまるとたまらないようですね。最近では、外来種の魚が増えて、鮒が捕れないようで、価格も高騰しているようです。
鮒寿司外包装-min

鮒寿司中身-min

鮒寿司盛り付け-min



 丁稚羊羹(近江八幡)
 米処、滋賀県は、お米を使ったお菓子も豊富です。また、東海道、中山道、北国街道が合流し、京または大坂へ分岐していく交通の要所でもあるため、古くから街道が栄え、「お菓子」「お土産」が発達しました。
 その京や大坂の「あきない」を覚えるために、「でっち」と呼ばれる小僧を「修行」に生かせる習慣がありました。この丁稚小僧が帰省の際、「安いお土産」として、安く作られた「羊羹」を買って帰ったところ、人気が出て、いつしか「丁稚羊羹」と呼ばれるようになり、名物となりました。
 本当の「羊羹」は、天草という海藻から取れる寒天で固められた、舌触りもなめらかな柔らかい「高級菓子」ですが、この「丁稚羊羹」は、米粉に小麦粉を混ぜて蒸し固めてつくり、何より材料が安いこと。ふんだんにある竹の皮に包んで蒸す為、工程が簡単であること。また、若干小さめにすることで、「安い」こと。そんな工夫が見られます。製法から、どうしても硬く粒子感があります。でもそこが自然の優しい雰囲気で安らぎますね。

丁稚羊羹外箱-min

丁稚羊羹中包装-min

丁稚羊羹-min


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 ういろ餅(近江八幡)
 ういろは、元々、中国伝来のお菓子で、室町時代から京、小田原を中心に伝わりました。当時は、砂糖が非常に高価であるため、献上品などにしか使われなかったですが、芋などの自然の甘さを配合して、庶民のお菓子として広がったとされています。江戸時代中期に書かれた各地の宿場の絵などに、「ういろもち」の記述が見られ、庶民のお楽しみであったようです。
 近江八幡は、米が豊富なため、ふんだんに米粉を使っているようで、密度が高く、少し堅めで粘りの強いのが特徴です。腹持ちが良いですね。

ういろ餅外箱-min

ういろ餅中包装-min

ういろ餅-min




大津宿

本陣 2軒、 脇本陣 1軒、旅籠 71軒、人口 14,892人
大津宿広重-min
 旧東海道第53番宿です。且つ道中最大の宿場でありました。東海道、いせみち、中山道、北国街道、奈良街道、伏見街道に加え、琵琶湖水運と、まさに交通の要所でした。本陣や旅籠の数は、京の隣ということもあり数は少ないが、多くの往来があるので、大層栄えたようです。逢坂山は牛車専用の路として石畳を敷き、午前と午後と一方通行としたそうです。広重の版画にも、走井茶屋と牛車が描かれていて、その賑わいを伺い知る事が出来ます。


 走井餅
 「走井餅」の創業は、1764年である。逢坂山の麓の井戸「走井」は、特に水量が豊富な清水で、その脇に出来た「走井茶屋」で、旅人に甘味等を振る舞い人気があったようです。その様子が、安藤広重の「東海道五十三次版画」にも描かれています。この独特な形は、走井から飛び散る水しぶきの一滴をイメージしています。また、両端の尖った部分は、ここの走井で鍛えた名刀に似て、この餅を食べると旅の道中剣難を免れると言われ、人気を博したそうです。明治になり、京都石清水八幡に分家し、「やわた走井餅」として今も受け継がれています。ここ、大津は明治に廃業し、創業地は月心寺としてのこるが、走井は今も健在である。その後、現在の片岡家に伝承され「走り井餅本家」として、今も大津名物として愛されています。
走井餅外箱-min

走井餅中包装-min

走井餅-min



 三井寺力餅
 その昔、比叡山に腕っ節の強い僧侶が多く、その中に「弁慶」という僧侶がいたそうです。延暦寺と、三井寺の争いが起き、弁慶を先頭に三井寺に攻め込み、その際、美しい音色で名高い、三井寺の霊鐘を比叡山に戦利品として持ち帰ったそうです。鐘をついてみると、「いのー、いのー」(帰りたいの意味)と聞こえたようで、弁慶は後にこの鐘を三井寺に返納したとのこと。
 この怪力伝説が、力餅となって、今に伝わるそうです。白蜜で味付けをした餅に、青大豆や抹茶を混ぜた粉でたっぷりとまぶしたものです。添加物を一切使わないので、この店でしか買えない。これがまた今の「名物」ですね。

三井寺力餅外箱-min

三井寺力餅箱詰-min

三井寺力餅-min


 大津祭 ちまき
 大津は、京に一番近い宿場である事から、京の影響をよく受けています。また、東海道、中山道、北国街道が集まり、またここより、伊勢路、難波路、京路と、分岐する交通の容赦である事から、古くから商いやお土産等が盛んであり、非常に栄えたそうです。その大津を代表するお祭りが、初秋の10月初旬に行われます。京の祇園祭のような山車を飾り、夜通し賑やかになるそうです。
 そして伝統の「ちまき」を食べるのですが、このお餅、さすがに米処ともあって、密度が高いです。重いです。歯ごたえもありもちもち感もあり、腹持ちが十分ありますね。静岡あたりのお餅は、水で相当薄めているのでしょうか、食感が全く違うので驚きでした。

大津祭ちまき外観-min

大津祭ちまき-min





 琵琶湖の鮎
 前述の通り、琵琶湖は川魚の漁獲量が多いので、古くからその加工品が保存食や、お土産に用いられてきました。
 甘露煮は最も一般的な加工品で、その他、燻製や干し物などもあります。鮎は繊細な食感を楽しめ、ちょっと高級な保存食になります。中でも子持ち鮎は、卵の食感が別格で人気があります。
 その他、小鮎、ごり、はす、川エビ、シジミ、もろこなどの小魚の佃煮なども人気ですね。
鮎と子鮎の甘露煮外箱-min
お得な詰め合わせ
鮎と子鮎の甘露煮中包装-min
真空パックで保存可能
小鮎の甘露煮-min
小鮎の甘露煮


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