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トップページ > ちょっと一息 > 第7回 江尻・府中・丸子・岡部のおみやげ、あれこれ

旧東海道のおみやげ、あれこれ

 旧東海道を歩いてみると、今に残る伝統的なお土産や、お菓子などがたくさんあることがわかります。東海道中膝栗毛で、やじさん、きたさんの楽しみは、このお土産やお菓子を巡ることでもありましたね。
 静岡県民は、全国の道の駅、高速道路の売店等での、お土産の購買金額が、全国一という調査結果があります。その信憑性はともかく、確かに、いろいろなところで、両手いっぱいお土産を買って帰ることが多いですね。そんなものを少し紹介してみましょう。



第7回 江尻・府中・丸子・宇津ノ谷・岡部

江尻宿 (清水)

本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠50軒、戸数1,340戸、人口6,498人
安藤広重江尻宿-min
 旧東海道18番宿で、三保半島に囲まれた江尻湊で栄えました。明治維新とともに、静岡のお茶などを海上輸送する、伝統工芸品やまた豊富な海産物の缶詰を輸出するため、清水港が開港され、静岡の近代的発展の礎となりました。江戸無血開城のため、勝海舟との密談を試み、山岡鉄舟が由比の西倉沢から漁民に化けてここ江尻湊に上陸し、府中にて西軍と打ち合わせをした、日本の歴史を変えた「湊」でした。


 追分羊羹


追分洋館-min
追分羊かん 創業元禄8年 (1695年)
 駿河国の三大名物の一つ、「追分羊羹」は、東海道としみず道との分岐点(追分)で売られたことからついた名前です。歴史は古く、三大将軍徳川家光公が主箱根の山中への旅の中で、明の僧侶を温かく介抱してあげたそうです。後に僧侶が感謝の意として製法を伝えたと言い伝えられています。第15代将軍徳川慶喜公に喜ばれ、大政奉還後も度々店に訪れていたそうです。竹の皮でくるんでいて,香りや風味が特徴で、長く静岡市民に愛されています。

追分羊かん全体-min

追分羊かん-min
追分羊かん
 羊羹とはいうものの、いわゆる「寒天」で固めた「練り羊羹」ではなく、「蒸し羊羹」の部類であります。デンプンに「米粉」を使うので、「ういろう」に近い味です。箱根の山で明の僧侶と、麓の小田原に元の僧侶の末裔「外郎
(ういろう)家」がいたことといい、つながりがありそうですね。




 清水おでんともつカレー

清水おでん-min
清水おでん
鰹だしに白味噌で食べます
清水もつカレー-min
清水もつカレー
子供のおやつから、お酒のおつまみまで



府中宿 (静岡)

本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠43軒、戸数3,673戸、人口14,071人
安藤広重府中宿-min
 旧東海道19番宿でありますが、そもそもの名前も、駿河の府「駿府」の中心の町として、「府中」であります。「府」はほかにも、甲府などもあり、徳川の直轄地という意味でもありました。
 徳川家康公が亡き後は、政治・経済の中心が江戸に移り、明治維新までは意外と質素な暮らしをしていたようです。それでも、東海道最大の宿場町でありました。


 徳川家康公が作った、駿府。参勤交代の交通も多く、土産物や、お菓子の歴史も古いです。 十返舎一九の東海道中膝栗毛にも書かれている「駿河三大名物」が、「安倍川もち」「追分羊羹」「兎餅」です。兎餅は長らく途切れていましたが、最近、復活したそうです。
 また、わさび漬もおみやげの定番。そもそも、わさび栽培は、安倍川上流の有東木と呼ばれる地が発祥の地。全国的には、伊豆や信州大王わさびなどが有名ですが、すべてここから株分けされたもの。徳川家康に献上したところ、葉の形状が三つ葉葵(徳川家の紋章)に似ていることから、たいそう気に入り、門外不出にしたそうです。その後、江戸中期に伊豆に伝わり今に至っているようです。
 また、駿河竹千筋細工の虫かごなども、お土産として喜ばれたそうです。

 手作り安倍川もち
 静岡と言えば、安倍川もち。その昔、徳川家康公にきなこ餅を差し出す際、安倍川上流の金山にちなみ、「金の粉(きんなこ)をかけてみました」と申すと、家康公たいそう喜んで、「安倍川もちと呼ぶが良い」と命名したという逸話が残っています。弥勒橋周辺に何軒か残っています。市内何カ所かのお菓子屋さんでも作っていて、新幹線の駅で有名なお土産は、「やまだいち」さん。機械製も多いが、手作りのものもあり、機械製は、日持ちがし、手作りはもちっとした食感が素晴らしいですね。もともとは、安倍川の対岸、東新田の「五郎右衛門餅」が大元だと言われています。それを
「安倍川餅」と呼ぶようになって、代々、五郎右衛門を襲名してきたのが、元祖亀屋の宮崎家。いまは、無くなってしましました。明治ごろまでは、弥勒橋に茶店が並んでいたらしいですが、だんだんと廃れていき、戦中戦後の食糧不足の折、途絶えてしまったようだ。明治以降開業した、「かごや」「橋本屋」などもありました。戦後、山田一郎が奔走し、見事復活させ、「静岡のお土産、安倍川餅」を不動のものにしました。駅売店等では、お土産用の日持ちがするお餅とし、茶店では、手作りのお餅を食せます。
最近では、駅売店でも、「手作り安倍川餅」を求めることもでき、幅広い層に愛されています。


安倍川もち石部屋-min
 元祖 安倍川もち せきべや
 安倍川の弥勒橋東詰に数件あった、安倍川もちの茶店です。安倍川義夫の碑の横に立ち、創業文化元年(1804年)と言うことである。もともとは、きなこ餅のことを「あべかわ」と称していたのですが、今では、あんこ餅ときなこ餅のセットのことを「あべかわ」と呼びます。
ここの名物は、「からみもち」。わさび醤油と、ほのかなお餅の甘みが絶妙なハーモニーですね。

あべかわもち-min
定番の 「あべかわ
もともとは、白砂糖がまぶしてありました
安倍川きなこ-min
きなこ
本当の意味での安倍川餅はこれ
からみもち-min
からみもち
わさび醤油で食べます

もちの家-min

 やまだいち もちの家
  やまだいちは、戦中戦後途絶えてしまった安倍川餅を、昭和25年復活させ、国鉄静岡駅での販売にこぎつけました。昭和天皇が岐阜にご行幸の帰り静岡駅に立ち寄り、お買い上げされた逸話があります。ここ、もちの家は、会津若松の豪農の古い家を移築し、登呂遺跡の横で、本物の杵と臼とで作られる「安倍川餅」を提供してます。中は炭火の囲炉裏があり、炭の香りと優しいぬくもりが、安倍川餅にマッチしています。
もちの家安倍川餅-min
黄な粉に白砂糖が混ざっているのが特徴
もちの家黄な粉餅-min
お餅は杵と臼で作られた手作りで、歯ごたえと延び方が違います
もちの家辛味餅-min
ここの辛味もちは、大根おろしとわさびです。

 お土産用安倍川もち
 街道の茶店で人気の「安倍川餅」も、鉄道開業でその形態を変えていきます。お土産が流行るのですが、手作りのお餅はすぐに硬くなるため、日持ちがしません。戦後「やまだいち」が静岡駅構内販売権を取得し、お土産用の「安倍川餅」が登場します。その御、数日たっても、特有の粘りがある、半透明のお餅です。これはこれで、「お土産」としては体をなす。また、商圏があるようで、JR構内販売や、ハイウェー、デパート、スーパーなど、それぞれ「専属」があるようです。もちろん、餅も黄な粉も手作りのものもあり、新幹線での移動が一般的な現代では、これも人気があります。黄な粉や、白砂糖を食べる際にかけて、湿気ないように工夫した商品もあります。ちょっと紹介していきます。
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 わさび漬け
 わさび漬けは、わさびを細かく切ったものに、酒粕を練り込んで作られ、そこそこ日持ちする。その日のうちは、辛くて涙が止まらないが、1,2日たつと、ちょうど良い辛みで、醤油を落として食べれば、ご飯も進むし、酒のつまみにもなる。一時は「喜ばれるお土産No.1」と呼ばれたほどでした。ところが、それが講じてみんなが買って帰るので、「もらって困るお土産No.1」とも言われました。最近では、わさび味のソフトクリームをはじめ、ポテトチップスや柿の種まで、現代のお菓子にアレンジされ、話題となっています。
 「わさび」は、室町時代からあったようだが、安倍川上流の有東木という集落で、谷川の清水で栽培するようになって発展したものらしい。当時は門外不出として管理されていたようだが、江戸時代中期になって、伊豆に栽培技術が伝えられ、また最近では、信州安曇野に伝承されている。
 有名なのは、新幹線駅のお土産や車内販売で有名な「田丸屋」、今は無き「小泉楼」なども、一時は羽田空港でも売っていた人気お土産でした。


わさび田尻屋-min
 元祖 わさび漬け
 田尻屋総本家
 田尻屋総本家の創業は、江戸時代中期、1753年!創業265年の歴史であります。漬け込む酒粕は、日本酒の産地、灘から、吟醸、大吟醸の酒粕を取り寄せているそうです。わさびを漬け込む樽を模した樽入りわさび漬けが好評となり、今に伝わります。田丸屋、小泉楼なども、ここから分かれていったようですね。



田尻屋ワサビ漬け-min
この丸い円盤状の形が、お土産の定番でした。わさびを漬ける樽をイメージさせたもので、好評を博したそうです
田尻屋わさび漬樽入り-min
今は、簡単な作りですが、雰囲気は残っています。香が抜けにくいように、透明ビニールで包まれています
田尻屋わさび漬-min
酒粕は乳白色で、甘く繊細です。対するわさびは辛味が強く、このコントラストが癖になります

田丸屋本店全景-min

 田丸屋本店
旧東海道の新通で開業したのが、明治8年。その後、東海道線の開業に伴い、明治22年、静岡駅構内での販売権を獲得して、全国へ広まったといわれています。当時の国鉄の駅での構内販売権を取るということで、安倍川餅のやまだいち同様に、新しいトレンドを生んでいきました。

田丸屋金印ミニ樽-min
樽漬けをイメージしたミニ樽
金印は、厳選されたわさびと、最高級の酒粕を使用したもので、やはり、おいしい!
田丸屋樽小-min
こちらは、お土産の定番。
昔は、木樽にわさび漬けが詰まっていましたが、今は、プラスティックの中容器が4つ入っています。(香が抜けないよう小分け)
田丸屋わさび漬け比較-min
左が金印、右が定番
金印は、酒粕が繊細で、わさびも茎が多く、香り高く、また、ちょっと辛い。
定番は、気兼ねせずたっぷりと食べられる,コスパが魅力!
田丸屋チューブ-min
チューブわさび2点
左が粗挽き、右が練り
要冷蔵
田丸屋チューブ比較-min
粗挽きは歯ごたえが少しあり、刺身などに合います。
練りは、寿司やわさび醤油などに使いやすい

こちらのチューブ2点は、要冷蔵なので、お土産にする際は、なるべく冷暗所で持ち帰らなければならない。その代わり、常温保存のチューブと、香り、風味、辛さ、ともに格別である!
 さて、こちらも店頭売りとは別に、お土産用としてパッケージなどいろいろと進化しております。そんなとこを、ちょっと覗いてみましょう。
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丸子宿

本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠24軒、戸数211戸、人口795人
安藤広重丸子宿-min

 旧東海道20番宿です。安倍川は東海一の暴れ川で、川止めが多かったようで、そのたび宿場は栄えたようです。この地の歴史は古く、鎌倉時代から交通の要衝で、幾たびと戦があったようです。
 周辺の谷には、鎌倉時代、室町時代から続く歴史のあるお寺やお堂があり、往年の駿府を彷彿させてくれます。丸子地区周辺を散策するウォーキングも流行っていて、週末にはよく歩かれている人たちに会います。


 丁子屋のとろろ

とろろ丁字屋-min
 東海道中膝栗毛にも、歌川(安藤)広重の東海道五十三次版画にも出てくる、丸子宿のとろろ汁。
とろろ自体は、全国いろいろあるが、ここは、自然薯という山芋を使って、鰹だしの味噌汁で延ばすという独特の料理法で、麦飯にかけて食べる。とろろではなく、とろろ汁。丁子屋は、安藤広重の版画を模して古い農家を移築して開業。奥は入り組んだ民家を継ぎ足して、どの部屋も和風。でも、観光バスで乗り付けてきても収容できる広さです。

丁子屋丸子路-min
とろろ定食「丸子路
いろいろあるけど、これで十分!
むかご塩ゆで-min
自然薯の種「むかご」の塩ゆで
これが結構はまる!
丁子屋刺盛-min
とはいえ、そこは海の近い静岡
刺身も新鮮でおいしいですよ。
丁子屋1品-min
揚げとろろ3品
椎茸、磯辺(のり)、たたみいわし
丁子屋だし巻き-min
意外とおいしい、隠れ逸品
だし巻き卵

 日本一大きな鯛焼き
 丸子宿の西外れ、二軒家から川沿いに奥へ入ると、一番奥に、大鈩のお不動さんがある。武田信玄の守り本尊が祀られている。その門前に、丸子峠の鯛焼き屋がある。以前は丸子赤目が谷にあったが移転した。ここは丸子城の城下町であり、室町時代、今川氏によって西の砦として造られた。今川家滅亡の後、武田信玄の侵攻の西の砦となった。また谷の途中の誓願寺は、それを遡ること鎌倉時代初期、源の頼朝が両親を供養するために立てたお寺である。その後消失するが、武田信玄によって再建された。また、関ヶ原の戦いの後、徳川と豊臣の間に入り、和平調停を試みた、片桐且元がここで待機していたと言われる。そして、豊臣家に裏切り者扱いされ、この地に眠っている。
 そんな歴史のある、大鈩の谷では、毎月28日に「お不動さんの朝市」が開催される。その朝市の一番奥を締めくくるのが、この「日本一の鯛焼き」である。
天然真鯛焼き-min
大鈩のお不動さん門前の鯛焼き屋
大きさにびっくり!
鯛焼き-min
これでも普通サイズ
こちらは、養殖真鯛の鯛焼きです
鯛焼き型-min
こちらは特注
天然真鯛の鯛焼きといいます!


宇津ノ谷 (間の宿)


宇津ノ谷-min
 古東海道は、これより海側の小坂~花沢の日本坂を通っていました。豊臣秀吉が、北条征伐の折、山道はいやだと言うことで、ここが整備されました。その際休憩した茶屋が、秀吉より戦勝のお礼として陣羽織を授かり「お羽織陣屋」として語り継がれています。明治には日本初の有料トンネルができ、今では、賑やかになりましたが、その昔は、「鬼が出る」と言われた心細い谷で、鬼退治の「十団子」というお話が残っています。


 十団子

十団子吊-min

十団子全景-min
 昔、宇津ノ谷に、人を食べてしまう鬼がいました。ある僧侶が退治に向かい、「たいそうな者じゃ、それでは小さく化けてみろ」と。鬼は瞬く小さな玉に化けたところ、僧侶が棒でたたくと10粒に割れ、それをパクリと食べてしまったそうです。東海道の旅人の「厄除け。魔除け」として、またお土産として人気を博したそうです。


岡部宿

本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠27軒、戸数487戸、人口2,322人
安藤広重岡部宿-min
 旧東海道21番宿です。今でも大旅籠「柏屋」が残り、当時の面影を残しています。駿河の古い伝統に基づく産業が多く、日本酒「初亀」、雛人形「好光」などが有名です。そのほか、桐箪笥等の家具なども盛んであります。家具造りは、静岡も盛んであったが、今は衰退してしまったが、ここ岡部にその原型が残されています。

 調査中

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